父が永眠しました。 入院したときから、手の施しができない。 どこが悪いというのでなく、云わば老衰な状態だと言われてた。
朝早く、父が入院する病院から電話があり、状態が良くないから家族の方の 誰か来てほしいと、弟の携帯に電話が入り(携帯番号は弟の連絡先を伝えてた)、 弟に連れて行ってもらい(私が車の運転ができないから)、一緒に行った。 昨日は意識があったけど、そのとき、呼吸は苦しそうで、酸素は上限いっぱいに 設定されてた。 問いかけに反応はなく、目は半目のまま、息をするたびに顎が動いてる状態だった。 弟は昼から出勤だし、様子に変化がないから、何かあったら電話をくれる とおっしゃっていただけたので、変化がないからとりあえず帰ることにした。 昼から弟は出勤のため、家を出た。 弟は今日は代わりがいないので休めないそうだ。
車ならそう遠く感じない距離だっけど、公共交通だと不便で時間もかかるから 車に乗れない私には、タクシーを選ぶしかない。 結構な出費になるから、父が用事を依頼してきたときは 弟が行ってた。 時々、一緒に病院に行くこともあった。
15時半過ぎごろ、父の入院する病院から、電話があった。 再び、様態が悪くなったから来てほしいという電話だった 元勤務してた会社のグループ会社のタクシーにした。 電話で自宅まで呼んだ。 車ならそう遠く感じない距離だっけど、公共交通だと不便で時間もかかるから 車に乗れない私には、タクシーを選ぶしかない。 結構な出費になるから、父が用事を依頼してきたときは 弟が行ってた。 時々、一緒に病院に行くこともあった。 そして病院の到着。 到着したときには、落ち着いてた。 というか、午前中と同じ状態だった。 しばらく病室に留まったけど、変わりもないし、洗濯物を干したままだし 一旦帰って、また来ようかな?と思ってた。 とはいえ、行きはタクシー利用したけど、帰りはバスとJR(JRでは1回乗り換え)、 またはバスとバス(乗り換え)で帰宅することにしてた。 そして、またバス+バスかバス+JRで戻ってこようと思ってた。 所要時間はかなり掛かる(汗) 先生が、今日の夜か明日くらいが限界だろうとおしゃった。 病院の先生が、仮眠できるようにしましょうか?とかおっしゃってくれた。 数日前から4人部屋病室から個室に移動してたから、仮眠場所が設置できそうだった。 スマホで、乗り換え時刻表で立てた時間が近づいてきた。 次のプランにしようと、その時間を過ぎた。 次もパスした。 そのころ、少しずつ数値が下がってる気がした。 ここで、一旦帰ると後悔するかも?と思ってと、そのまま留まることにした。 何時だっただろうか?19時過ぎだったかな? モニターの数値が下がりだした。 それまで呼吸の度、顎が動いてたけど、顎がうごかなかったり 心拍数が下がりだした。 人生のタイマーが終わりを告げようとしてる(泣) そう予感しました。 モニターの心拍数が下がる、血中酸素量が下がる、数字が下がっていく、 モニターのオレンジ色の警告と音はなったり止まったりを繰り返したけど モニターが赤色に警告した。 ナースステーションに呼びに行こうとしたら病室へ向かって走ってきてた みたいで、病室の出口で看護師さんと危うく正面衝突だった(笑) 先生を呼んできますね、と言って看護師さんは病室から出ていった。 ついに心臓が止まった。 そしてすぐに再起動した。 しばらくすると、また止まった。 またうすぐ動き出した。 次も、でも間隔が短い。 顔が青くなっていくのがわかった。 もうだめだと思った。 5回心臓が止まって、6回目は心臓が再起動しませんでした。 半目をあけたまま顔が青くなり、動かなくなった。 先生が、臨終を確認しました。
入院中、父が、よくしてくれると言ってた。 入院してる間に、だんだん喋れなくなり耳が聞こえるのだけど 言葉になってなかった。 あるとき、父が電話してきて、何を言ってるのか?わからなかったけど ん?よくわからないよ!と言うけど、必死に喋ろうとしてた。 そこへ先生(副担任の女医さん)が来たらしく、会話が聞こえる。 変わってあげようか?というのが聞こえた(笑) そして、〇〇ですが、電話代わりましたと、ん?とか、ゼスチャーで 伝えてたのが電話からわかりました。 そして、言いたいことを教えていただきました。 看護師さんも良くしてくれてた。 看護師さんがトイレのときは読んでくださいねって言ってたのに、 病院で勝手にトイレにいこうとして転倒して怪我したりと 手のかかる患者だったとおもうけど、優しく良くしてくれてたようです。 最後は、体をきれいに拭いてくださりました。 ほんと、感謝しております。 | |